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2016年11月20日 (日)

王であるキリストの祭日に

王であるキリストの祭日、湯沢台ではカナダのオタワからいらしたダリル・ケネディ神父様の御ミサがありました。日本語のあまり得意ではないケネディ神父様が、ご自分のお説教を日本語の先生に訳していただき、一生懸命お話くださったお説教をご紹介いたします。

Christtheking2013

今日は「王であるキリストの祭日」です。聖ルカによる福音、イエスの磔刑の箇所が朗読されました。これは少し変に思われるかもしれません。王であることは、権威と力、法律を伴うものですが、なぜ人間の残酷さ、苦しみを描くこの場面がきょうの日に朗読されるのでしょうか。

福音は、それによって私たちが神の愛を信じ、その愛に応えることができるように記されました。福音はキリストの教えと、キリストがおこなった奇跡を通して その限りない美しさを見せてくれます。しかし今日の福音は、キリストの受難に注目すること、またそれについて深く考えることによって、神の愛に応えることを求めます。

私たちは皆、キリストの十字架上の受難における身体的な苦しみについて知っています。今日の福音は、キリストが経験された心と霊魂の苦しみを示しています。十字架の上で苦しんでおられるキリストを、民衆のかしらたちはあざ笑い、からかいます。一緒に十字架につけられている犯罪人のひとりまでイエスをののしり、「自分自身を救ってみろ」と言います。

私たちはこの人たちのような行いは絶対にするまいと自分自身について考えます。しかし、今までに自分の利益や懸念を優先したことはありませんか? 心の中だけであっても、教会に反したり疑いを抱いたことはありませんか? 今日の福音の中の人びとは、イエスの苦しみにまったく無関心です。私たち自身、他人の苦しみに無関心であったことはありませんか? 身の回りの人びとや自分の家族の苦しみを顧みなかったことはありませんか?

今日の福音の中で、人びとは、キリストが私たちのために行った犠牲を疑い、あざ笑います。キリストが私たちの罪のために犠牲になられたことへの、私たち自身の信仰はいつも揺るぎないものだったでしょうか。私たちひとりひとりのために御自分の御ひとり子を犠牲にされた神の愛を疑ったことはなかったでしょうか。その限りない愛をいつもふさわしく意識してきたでしょうか。

「王であるキリスト」を祝うこの日、十字架を仰ぐことの意義を考えてみましょう。十字架を通してイエスは王となりました。十字架の上で瀕死の状態にあってさえ、キリストは、あわれみを求めた罪びとに寛大な救いをお与えになりました。

十字架は重要です。キリストは十字架を受けいれ、耐え忍ぶことによって王となりました。同じように私たちも自分自身の十字架を受けいれ、耐え忍ぶことによって真にキリストの王国の一員になることができるのでしょう。私たち自身の十字架と、キリストの十字架を一つに結ぶことによって、キリストの王国に入ることができるのです。

キリストの王国への一筋の希望の光は、十字架につけられた犯罪人の一人の回心です。この男は「良き盗賊」として知られています。どうしてこの男は十字架による処罰を受けるような犯罪者から「良き盗賊」へと変わることができたのでしょう?

この犯罪人はイエスが屈辱を受けながら、平和とゆるしをもって屈辱に接していることに気づきます。イエスの苦しみについて深く考えることによって、良き盗賊は恩寵を経験し、神の愛を受けたのだと言えましょう。そして彼はキリストに祈り、そのあわれみを乞います。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください。」

良き盗賊はこの瞬間に、キリストに深い信仰をあらわしています。この男は、法律によって磔の処罰を受けるような犯罪をおかしました。しかし、彼が回心したこの瞬間に、新しい法律が生まれたのです。

 

社会の法律は「罪を告白すれば処罰される」というものです。ところがキリストの王国の新しい法律は、「罪を告白すれば救われる」のです。

良き盗賊は今日の福音の中で、イエスに「私を思い出してください」と求めます。実に、聖書の歴史において、思い出すことは神の役目です。ユダヤ人の歴史を通して人びとを導き、保護するのを忘れなかったのは、神でした。神は人類との契約を忘れません。人が過ちや罪を犯したのにもかかわらず、人との約束をお忘れになりません。預言者たちを通して、神は人びとを正しい道に呼び戻し、その愛を思い出させてくださいます。

王であるキリストを祝うこの日、良き盗賊のことばは、私たちにとって基本的な信仰の祈りであると言えます。「主よ、私を思い出してください」。 日々の生活において、主よどうぞいつも私たちと一緒にいてください。あなたは良き盗賊を一瞬にして楽園へと導かれました。ふさわしくない者ではありますが、あなたの限りないいつくしみと愛によって、どうぞ私たちを天の王国へと導いてください。

今日の福音は美しいことばで締めくくられています。天国。イエスにいつくしみを求めた犯罪人は天国に迎え入れられました。楽園は私たちみんなを待っています。天国は神の人びとの未来です。イエスがそのいつくしみによって治めておられる王国です。

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